白澤楼:今回は、新鋭ウブメ研究家(笑)である木場さんが、何故、妖怪をテーマに卒業論文を書き、妖怪研究にどっぷり漬るに至ったのかを、心ゆくまで熱く語ってもいただこうという企画です。
 では、よろしくお願いします。
木 場:こちらこそよろしくお願いします。こんなこと初めてなので緊張してます。膝がガクガク震えてますね(笑)。

白澤楼:そもそも、いつ頃から妖怪にハマったの?
木 場:幼稚園の頃です。
 その頃、図鑑が大好きだったんです。絵本よりも動物図鑑の方に興味がありました。図鑑と言っても、子供向けのものではなくて、専門的なやつでした。もちろん文字もろくに読めなかったので、名前とかは親に聞いてました。だからずっと絵や写真を眺めて、いろんなことを想像したものです。もうほとんど忘れてしまいましたが、当時は図鑑に出ている動植物の名前をほとんど覚えていました。
 そんな変わった幼稚園児だった私の運命を変えたのが、フジテレビ系列で放送された『ゲゲゲの鬼太郎』第3部(戸田恵子さんが鬼太郎、故富山敬さんがねずみ男の声を担当していたシリーズ)です。
 たまたま第1話から見たのですが、これがファーストコンタクト。なんじゃこりゃ?こんなもの見たことないぞ、って。初めて見るわけだから、見たことないのは当たり前なんですが(笑)。
 最初は水木しげるさんのキャラによるインパクトが大きかったです。もちろんウルトラ怪獣や仮面ライダーの怪人なども知っていたし好きだったのですが、そうした怪獣とはちがった印象を妖怪から受けました。単に児啼爺とか砂かけ婆みたいな年寄りキャラを見たことがなかったからかもしれませんが(笑)。多分それは妖怪が実在しているからだということではなくて……何というか、怪獣にはない妖怪が持っている「歴史」とか「古さ」みたいなものを、子どもなりに感じたからではないか……まぁ、後知恵でそう解釈しているわけですが。
 以来、私は妖怪の虜になってしまいました。

白澤楼:当時、木場少年は、妖怪を図鑑に載ってる動植物の延長線上にあるものだととらえていたということ?
木 場:そうですね。私の中では、動物も恐竜も妖怪も同じ世界の中にありましたね。“タランチュラ”も“三葉虫”も“わいら”も図鑑などを通してしか見たことないわけですから、いるいないにかかわらず同じ平面上にいたわけです。
 後になって知ったのですが、こうしたものの考え方は本草学者(博物学者)と同じものなんですね。これを知ったときには、とても驚きました。ああ、こんな変な考え方をしてたのは自分だけじゃなかったんだって(笑)。

白澤楼:あ、わかるな、その感覚は。私も子供の頃から図鑑好きでした。
木 場:でしょう(笑)。

白澤楼:それからまだ深みにハマっていくわけだよね?
木 場:鬼太郎を見始めてからは、水木しげるさんの妖怪図鑑を読みふける毎日でした。初めて買った漫画も『ゲゲゲの鬼太郎』第3巻(たんたん坊が表紙に出ているもの)。どの絵も私を魅了しました。小学1年生の時には、「妖怪」という漢字はすでに書けていたし、もう少し経つと「九尾の狐」とか「鉄鼠」なんて字もそらで書いてましたよ。「薔薇」は今でも書けないんですけどね。

白澤楼:ちょっとこましゃくれたヤな小学生だな(笑)。が、妖怪が教師代わりでもあったということだよね。
木 場:「おばけにゃ学校も〜、試験もなんにもないっ♪」って歌はありますけどね(笑)。漢字や妖怪に付随する風習や文化を、自然に学んでたわけです。
 そんな幸せな数年を送っている間に『鬼太郎』は終了。当時の妖怪ブームに便乗していた私は、ご多分に漏れず、一気に熱が冷めてしまいました。本屋で妖怪図鑑とかを見かけるとついつい買ってしまうものの、小学校を卒業するまで妖怪とはかなり疎遠になっていました。でも、妖怪を通して得た知識は役に立つ時がありましたね、生活の豆知識みたいな感じで。

白澤楼:疎遠になっていた妖怪が、また急接近してきたからこそ、今の木場さんがあるわけだよね。
木 場:再び妖怪がその蠱惑的な手を伸ばしてきたのは、中学生2年頃でした。当時『鬼太郎』第3部を再放送していて、懐かしいなあと思って見ていました。
 で、その頃たまたま読んでいたのが、柳田国男の『遠野物語』。本当に偶然なんです(笑)。
 『遠野物語』読むと面白いわけです。この話聞いたことある、あ、『日本妖怪大全』で見た「迷い家」か、とね。水木さんの妖怪画が、民間伝承や先人の妖怪画を基にしていたのは知っていましたが、その時分は水木しげるファンの域を出ていませんでした。つまり水木作品→もとの民間伝承など、という図式だったのが、民間伝承など→水木作品、という図式の方に興味が移ったんです。要は「水木しげる」の外側にあるものに対して探求心が湧いてきたわけです。それが私の妖怪愛好心を再燃させました。
 学問っていうのは、ひとつのことが判明するという達成感と、そこから新たに発生する謎を解き明かしたいという欲求、いわば満腹感と空腹感が一気に味わえることに醍醐味があると思っています。妖怪はそんな醍醐味がぎっしり詰まっている上に、まだまだ未開拓な世界なんですね。こうした快感を伴った醍醐味みたいなものが、妖怪愛好家をその虜にしているのだと思います。
 あ、横道にそれてしまいました・・・(笑)。が、それからはもう妖怪道まっしぐら。古文の勉強なんか、妖怪資料を読むためには必要だからしっかり勉強しておかないと、なんて思ったりした時期もありましたからね、ホントに(笑)。こんな中学・高校時代を送りました。

白澤楼:大学では、日本史専攻だよね。
木 場:歴史は昔から好きでしたから、あと試験でも成績よかったし(笑)。歴史の中でも日本史を選んだのは、自分が現在生活している日本という国が、昔どうだったのかを知ってないと何だか気持ちが悪かったからです。例えるなら、毎日歩いているアスファルトの下の地層はどうなっていて何が埋まっているのか、気になってしょうがないって感じですかね。
 今もそうですが“妖怪について研究したいなら民俗学”って考え方は当時もありました。私もそう思っていましたが、できることならあんまり手の付けられていない学問分野で妖怪を扱いたいなあ、と大学に入る時には漠然とですが考えてましたね。

白澤楼:結局、「妖怪」をテーマとして卒業論文を書いたんだよね。そのあたりのことを少し話してくれる?
木 場:そろそろ卒論に取りかからなくてはならない時期にさしかかって、自分は何をテーマに研究をやりたいんだろうと考えたんです。で、どうせなら自分ぐらいしかやらないであろう妖怪をテーマに書くことに決めました。
 古代史や中世史では、怪異(妖怪も含めたあやしい物事全般を指す概念として、ここでは使用)が載っている記事を史料として、頻繁とはいえませんが使うことがあります。しかし近世史においては、古文書の豊富さのせいもあってか、ほとんど用いられることはありません。近世は妖怪文化が爛熟していた時代であるにもかかわらずです。それなら、近世という時代を「妖怪」あるいは「怪異」という視点で、自分なりに捉えることはできないのか、というのが近世史を選んだ理由ですね。
 あと、ブランクがあるとはいえ十年以上、妖怪を愛好してきた自分に対する一つの区切りとしての意味合いも持っていました。格好良く言えば、“妖怪愛好家としてやってきた証”を作りたかったのです(照れ笑)。

白澤楼:その証の素材に選んだのが、ウブメだった、と。
木 場:ウブメにしたのは、やはり京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』の影響です。産女と姑獲鳥という全く異なる性質のものが、何故か同一視されているのは以前から知ってましたが、『姑獲鳥の夏』を読んだときに、より強く興味を持ちました。
 妖怪は記述などが残された当時の社会状況を背景にして多様に変化します。ならば産女=姑獲鳥説も社会状況による何らかの影響ではないか、そしてそうなるのはおそらく中世末〜近世あたりのことではないかと考えていました。それでこれは卒論の素材としてお誂え向きだなと思って…。
 まず最初は、中・近世の出産に関する論文を読み漁りました。ウブメは産死者の妖怪ですから、出産という行為から何かわかりはしないかと思ったわけです。ですが、出産を含む日常生活の史料というのは量的に少なく、そうした制約もあって判然としませんでした。
 次にやったのが、ウブメが載っているものを片っ端から集めて、時系列に並べて違いを検討していくことでした。ウブメ史料のテキストクリティークです。それでも、やりだした当初は、煮詰められるほどの成果が得られませんでした。

白澤楼:それで、さらに軌道修正したんだ?
木 場:ウブメの史料だけを並べても、その後ろにあるものが見えてこなければ、論文としては失格ですからね。ちょっと方向性を変えました。つまり視野を広げて、近世段階での怪異とは一体どのように形成されていくのか、そしてそれは当時の人にはどのように受容されていたのか、について考えることにしました。
 軌道修正した卒論を書いていく上で、天の配剤かわかりませんが、論拠になったのがウブメでした。単に論拠になったわけではなく、使っていく過程で産女=姑獲鳥説の謎を明らかにすることもできました。林羅山というさらに大きなテーマにも巡り合えましたしね。
 その謎解きは『怪』0013号に「うぶめの系譜」1として掲載させてもらっています。よければみなさんも読んでみてやってください。
 実は、あの小論の肝となる史料『多識編』は、卒論提出期限20日前になって見つけたものなんです。20日と言っても、うちの大学は手書き提出なので実質10日前という感じでした。全体の流れは掴んでいたものの、決め手がない。そんな時、ギリギリになって肝となる史料を発見したときの得も言われぬ感じは、今でも鮮明に覚えています。もちろん発見と同時に史料批判をすることも忘れていませんでしたが。で、形になった卒論を何とか無事に提出することができました。その卒論で得られた成果は、東アジア恠異学会の研究報告のページに載せていただいています。

白澤楼『怪』0014号の「うぶめの系譜」2ではウブメの図像を扱ってるよね? あれは新たにやった作業なの?
木 場:あれも卒論制作上の副産物です。ウブメのテキストクリティークをやっていた時に、似たような図柄を近世を通じて見つけていたのがきっかけです。幼稚園の頃から培われた図鑑好きのせいか、視覚的なものについつい目が行ってしまうんですね(笑)。
 でも、そのおかげでこうした図像コードに気が付いたりしたのですから、三つ子の魂が大いに役立ったわけです。河童とか天狗などでは図像を時系列に並べて検討するということは従来からあったようですが、一般にあまり認知されていない妖怪の図像研究ではあまりされていないことですね。これからさまざまな妖怪図像の研究が為されていけば、妖怪の新たな側面が見えてくると思っています。

白澤楼:木場さんの過去の妖怪環境はどうでしたか?
木 場:ひとりでコツコツやってました。大学生になっても、4回生の後半までインターネットともほとんど無縁でしたから、他の妖怪愛好家さん達と交流を持つ機会もなく、一人で地道にアングラ活動してましたよ。
 そんな4回生の秋、たまたま大学でインターネットをしていたら、この白澤楼に行き着いたんですね(笑)。なんと約一ヶ月後に岡山でオフ会をするらしい。しかも白澤楼主人の化野燐という人物は岡山県在住(笑)。20数年生きてきて、岡山県内に私を含めて最低3人ぐらいは妖怪愛好家がいるに違いないとずっと信じてきましたが、それまでは巡り会う機会なんて全くありませんでした。そんな私がついに他の岡山県在住の妖怪愛好家を知ったときの欣喜雀躍ぶりったらありませんでしたね。
 で、いてもたってもいられずオフ会に参加しました。オフ会でも非常に充実した時間が過ごせました。今までは、友人に妖怪ネタの話題が10あるうちの1ぐらいしか語れないできたのを、10話しかけたら12になって反応が返ってくるというこの快感!!もう堪りません(笑)。それ以来、化野さんをはじめオフ会で出会った方々やネットで知り合った他の妖怪愛好家の方達とも、素敵な交流をさせてもらっています。
 そうそう、私はこの夏は行けなかったけど、それまでは『世界妖怪会議』を皆勤賞で見に行っているんですよ。それで、仲良くさせてもらっている人たちも何回かの会議には行ってらしたみたいで…。「ひょっとしたら、知らずにすれ違ってるかもしれないね」と、よく話するんですよ。きっと、現在お付き合いしてる方々とは、巡り合うべくして巡り合ったんでしょうね(笑)。
 最近では妖怪愛好家として、ますます充実した時間を過ごさせてもらっています。

白澤楼:最後に妖怪に対する熱い思いをお願いします。
木 場:たまたま巡り会った「妖怪」という存在に、ここまで自分の人生を左右されるとは思いませんでした。おかげで今はすばらしい仲間にも恵まれ、快適な生活が送っています。妖怪にかかわらず、こっちが誠意を以て接すれば、向こうも必ずいい反応をしてくれます。これを読んでくださっている皆さんも、せっかく「妖怪」という魅力的なものに巡り会っているのですから、恐れず迷わずどっぷり妖怪にハマりましょう。
 いざ、めくるめく、妖しの世界へ!!

白澤楼:なんだか新興宗教の勧誘みたいだね、どうも(笑)。
でも、熱い思いは、ビシビシと伝わってきました。では、本日はありがとうございました。

◎話者紹介◎
木場貴俊◎某大学院生にして新進ウブメ研究家。近世人の知の枠組みの中で妖怪や怪異がどのような位置にあったかをテーマに、儒学・本草学などを切り口にした今までになかった新たな妖怪研究を進めている。京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』中のウブメ論、林羅山論には、巻末の謝辞にもあるように、彼の斬新な見解が大きく反映されている。

論考一覧

「うぶめの系譜」1
『怪』0013
「うぶめの系譜」2
『怪』0014
「林羅山と怪異」
東アジア恠異学会/編『怪異学の技法』(11月刊行予定)

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