◎「くだん狩り」の歴史◎
◎壱◎
柳田國男の問い

○『郷土研究』は 民俗学が現在のような明確なスタイルをなす以前の民俗学の雑誌だ(1)
 初期の郷土研究家や好事家から投稿された各地の習俗・伝承などに関する貴重な論考・報告文が多数掲載されている。妖怪や七不思議についての報告も寄せられており、私のような妖怪愛好家が読んでも面白い。
 同誌は大正6年の一時休刊まで、郷土研究家・好事家たちの研究発表・交流の場として機能した。投稿者には南方熊楠や中山太郎、尾佐竹猛などの著名な人物も名を連ねている。また、柳田が関わった最初の雑誌であり、その刊行にともなう作業や研究は、柳田民俗学の形成に大きな役割を果たしたとも言われている。

○この『郷土研究』誌には「紙上問答」というコーナーが設けられていた。このコーナーは読者から投稿された質問に対し、別の読者が回答を寄せるというシステムを採っていた。ネットのような即時性には欠けるが、私達が日頃お世話になっている「掲示板」に似ているということができるだろう。

 問(八一) 釣瓶オロシ又釣瓶オトシに付て各地の伝説承り度


 これは第2巻第4号の同コーナーで森彦太郎氏が発した問いだ。
 2号後の第2巻第6号には、はやくもこれに対する回答が掲載されている。福田文月は滋賀県彦根市の例を紹介し、尾芝古樟(柳田國男のペンネーム)は『人類学雑誌』の過去の号に「釣瓶オトシ」の記事が載っていたことを指摘している。

○そして、1916(大正5)年2月刊行の『郷土研究』第3巻第11號。
 私達はこのような質問を見つけることができる。

 問(一八二) 件(クダン)と稱して牛の子に人の如く物言ふものが生れると云ふこと、如何なる書物に出て居りますか。又今日も此沙汰の有る地方がありますか。
[川村(柳田) 1916 ]
 

 質問の主は(川村生)という署名になっている。この川村某とは、柳田が同誌上で複数を使い分けていたペンネームのひとつ川村杳樹のことだと思われる。
 そう、この一文は柳田國男による「くだん狩り」開始のアナウンスなのだ。
 
○残念なことに「紙上問答」は「質問ばかりたまつて、どの方面からもとんと応答がこなくなつた」のを理由に、第4巻第1号で一時休止となってしまう
[柳田 1916]。また、同誌を主要な舞台とした柳田國男・南方熊楠間の論争と決裂、いわゆる「山人論争」等を契機に、雑誌『郷土研究』そのものが1916(大正6)年3月に第4巻第12号で休刊となる。
 勿論、「件」に関する読者からの回答は掲載されず終いだ。我々は柳田のもとへひとつでも「件」情報が寄せられたのか、まったく寄せられなかったのかさえ知ることは出来ない。



(1)大正2年3月、柳田國男と神話学者の高木敏雄の両名が創刊。高木は創刊の一年後に編集を降り、以後同誌は柳田の個人雑誌的な色彩を強めていく。

参考文献
 尾芝古樟(柳田國男) 1914 「紙上問答」 『郷土研究』 第2巻第6号
 川村生(柳田國男) 1916 「紙上問答」 『郷土研究』 第3巻第11号
 福田文月 1914 「紙上問答」 『郷土研究』 第2巻第6号
 森彦太郎 1914 「紙上問答」 『郷土研究』 第2巻第4号
 柳田國男 1916 「小通信 紙上問答の中止」『郷土研究』 第4巻第1号

                                              (2001.01.29)

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