◎菅江真澄は江戸時代後期の国学者にして旅行家だ。本名は白井秀雄。本草学・和歌などの諸学を修めた江戸時代知識人のひとりだ。
 1783年(天明3)年以降、彼は信濃・東北・北海道を経巡り、各地の地理・風俗の記録を残した。 現在、その貴重な記録は『菅江眞澄全集』(未来社)や、平凡社ライブラリーの『菅江真澄遊覧記』(内田武志、宮本常一編訳)などにまとめられている。それらは民俗学者や愛好家にとっては、江戸後期の東北の風俗を知るための第一級の資料である。

◎彼が残した秋田藩地誌の原稿のなかに「ぬらりひょん」が登場していることは、あまり知られていないようなので、ここで紹介しておくことにしよう
(1)
 増補『雪の出羽路』雄勝郡二の稲庭ノ郷、沢口村の項に、同地の道祖神を祀る坂が紹介されており、その中にこのような記述がある
(2)

「此さへの神坂を雲深くあるは小雨そぼふる夕ぐれなんど通れば、男は女に逢ひ女は男に往会う事あり、又ぬらりひょん、おとろし、野槌なんど百鬼夜行することありと、化物坂ともいふ人あり。」
[内田、宮本 1975]

◎さて、この化物坂の「ぬらりひょん」だが、本当に秋田の地にその出没の話が残されていたと考えてしまってよいのだろうか? 
 だとすれば、ぬらぬらとしてとらえどころがなく、愛好家の間では素性の曖昧な妖怪の代名詞にさえなりつつある
(3)この妖怪の伝承地がひとつ明らかになったことになるのだが・・・。

◎残念ながら、必ずしもそうはいえないだろうと私は考えている。
 まず、秋田県に「ぬらりひょん」の伝説があったという記録は他には見当たらない。  
 また「野槌」はともかく「ぬらりひょん」、「おとろし」は、どちらも所謂民間伝承の中にその姿をとどめていない妖怪の代表格である。何の特徴の記述もなく、ただ「百鬼夜行」するという記録があるというだけで、伝承地が見つかったとするのはやはり早計だろう。
 さらに、「ぬらりひょん」、「おとろし」のどちらもが狩野派の妖怪絵巻の画題であることが、その疑惑を深める
(4)。先にもふれたとおり、菅江真澄は当時の知識人であり、その教養の中に大和絵の妖怪に関する知識があったとしても不思議ではないからだ。
 おそらく現地には、百鬼夜行の伝説はあったのだろう。だが、伝説を記録する段階で、菅江真澄の教養が、そこには伝わっていなかった妖怪の名をつけくわえてしまった可能性は否定出来ないと思うのだ。



(1)本稿以前にこのことを紹介している著作に[福島 1999]がある。同書P.133参照。
(2)稲庭ノ郷は現在の雄勝郡稲川町稲庭にあたる。
(3)『妖怪世界』の「妖怪探求」過去記事[476 日本最強の妖怪は何か]、[村上 2000]などを参照のこと。
(4)狩野派の妖怪絵巻については[多田・京極 2000]の解説を参照のこと。また、辻 惟雄氏によると作者不詳の『化物づくし』は「秋田県の古い質屋さんのところに、明治のころから」あったものであるという[辻 1964]。あるいはこれが秋田の旧家などから流出したものだとすれば、菅江真澄がまさにこの『化物づくし』を見ていた可能性もあると思う。


参考文献
 内田武志、宮本常一編 1975 『菅江眞澄全集』第五巻、未来社
 多田克巳 編・解説、京極夏彦 文 2000 『妖怪図巻』、国書刊行会
 辻 惟雄 1964 「化物づくし」『美術手帖』1964年8月号、美術出版社
 福島彬人 1999 『奇々怪々あきた伝承』、無明舎出版
 村上健司 2000 『妖怪事典』、毎日新聞社
                                             (2001.04.02)

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