(前略)壱岐島でヌリボウといふのも似たものらしい。
夜間路側の山から突出すといふ。
出る場處も定まり色々の言ひ傳へがある
(續方言集)。
[柳田 1938]

◎ここで引用したように「妖怪名彙(四)」の「ヌリカベ」の項には、「ヌリカベ」に「似たもの」として、長崎県壱岐島の「ヌリボウ」という妖怪が紹介されている[柳田 1938]
 この記事のなかで、柳田が「ヌリボウ」の出典としてあげている『続壱岐島方言集』(以下、『続方言集』)
[山口 1937]のページをめくると、たしかにこの妖怪についての記述をみつけることができる。方言集という著作の性格上、その文章は辞典的できわめて短い。先の柳田の記述とも大差はなく、読むものを欲求不満に追い込むような罪作りな記事ではあるが、該当の部分を以下に引用しておこう。

 ヌリボー 妖怪の一種といふ。夜間道側の山より突き出すといふ。出る場所も特定の云ひ傳へがある。[山口 1937]

 「ヌリボー」とは、どのような形態で目撃者に認知されるモノなのか、これではまったくわからない。また、その行動の属性も「夜間道側の山より突き出す」こと以外は不明である。
 上で紹介した記事は、山口氏がはじめて「ヌリボー」についてふれた文章ではない。実は、『続方言集』の3年前に刊行された『壱岐島民俗誌』
[山口1934]の「第三六 神と仏と化け物」末尾で、その名だけは既に報告されているのだ。
 しかし、残念ながらこちらの記事も以下のような素っ気無いものであり、「ヌリボー」の属性を知る役には立たない。

 以上の外に左記名称のものを聞くが、どんな形をして、どんなはたらきをするものであるかは知るを得なかった。海坊主、カセカケオナゴ、ヌレオナゴ、海オナゴ、ヌリ棒、首キレ馬。[山口1934]

 これらふたつの記事を読むと、1934〜37年の時点では山口氏が「ヌリボー」に関する詳しい情報を現地で聞き取れていなかったことがわかる。おそらく「ヌリボー」は、当時でさえ人々から忘れ去られかけたモノだったのだろう。

◎あるいは柳田は、弟子の山口氏から直接話を聞いて、「ヌリボー」を「ヌリカベ」の同類と判断したのではないかとも考えた。
 だが、山口氏が公表したよりも詳しい伝承を知っていたか、『續方言集』が刊行された1937年2月から「妖怪名彙(四)」が掲載された雑誌『民間伝承』が発行される翌1938年9月までの間に、さらに詳しい話を聞き取り調査したのでもなければ、この仮定は成り立たない。先の柳田の記述が『続方言集』と大差ないことと考え合わせれば、その可能性はとても低いと言わざるを得ない。

◎また、柳田がどのような基準で「ヌリボウ」と「ヌリカベ」を同類であるとしたのかも判然としない。路上の(人を驚かせる)怪であるのが同じで、名が似ているというだけなのか、それとも目撃者に認知される形態や行動の属性などにも共通する点があるというのか。
 私達がいま手にしている情報だけで判断するならば、前者であるとせざるを得ないだろう
(1)

◎そして、1956年。この素性のよくわからないモノは、著名な学者柳田國男の『妖怪談義』という書物に「妖怪名彙」のひとつとして掲載され、多くの人々の目に触れるようになり、壱岐島で語られていた本来の伝承の文脈から解き放たれてしまう。 この後、少年雑誌や児童書などで紹介されるたびに、民間伝承の文脈から遊離してしまった「ヌリボウ」は様々な姿と性格を見せることになる。
 以下、その変遷を追ってみよう。

◎まず、1969年の1月1日発行の『少年画報』に、水木しげる氏描く「塗坊」が紹介された
(2)。臓器あるいは原生動物、鸚鵡貝などをイメージさせるサイケデリックな模様の壁に手足がついたような姿をしており、以下のような解説文が付されている。

 この人間の内臓のような“塗坊”は、むかし長崎県の壱岐島にでた妖怪で、夜間に、道路側の山から、つきでてくるのだという。だいたい、でる場所もきまっており、壱岐島には、いまでも、いろいろないいつたえがのこっている。[水木1969]

 一読してお解りのように、で示した部分を除くと、文章の骨組は山口・柳田のものとほぼ同じである。文頭に付加された「内臓のような」姿というこれまでに無かった表現は、この時点ではあくまでも絵の存在を受けて説明するために書かれたものである(3)

◎1970年、上述のサイケ調「塗坊」の絵が、単行本『水木しげる妖怪画集』に再録された時の解説は以下の通りだ。些細ではあるが、いくつかの異同をみつけることが出来る。

 人間の内臓のような「塗坊」は、昔、長崎県の壱岐島に出た妖怪で、夜明けに道路側の山から、つき出てくるのだという。だいたい出る場所もきまっており、壱岐の島には、いまでも、いろいろないいつたえが残っている。[水木1970]

 絵をうけるための「この」が欠落したために、「塗坊」とは「人間の内臓のような」モノであることが、当然のことと読めるようになってしまっている。何故か出没の時刻が夜明けに変更されているのも気にかかる点だ。

◎1972年に刊行された佐藤有文氏の『日本妖怪図鑑』には、宮崎県(!)の妖怪として「ぬりぼう」が登場する
(4)。挿図には梅干し状の物体が四つほどつながったようなモノが描かれている。解説文は以下のとおりだ。

 山の奥にいる妖怪で、はじめは小さい黒いかたまりだが、人間が近づくと急に大きくふくれあがる。人間の内臓をつなぎあわせたようなおそろしい姿に変化するのだ。そして人間のはらをえぐって内臓をたべるという。[佐藤 1972]

 この記事は、水木しげる氏による内臓型「塗坊」の記事を参考にして書かれたようだ(5)
 しかし、これではまるで食人鬼だ。壱岐島や宮崎県に、このような伝承が無いという保証はないが、本州諸島の民間伝承中に食人という行動の属性を持ったモノが登場することは比較的少ないことから考えて、おそらくこの記事は、読者を楽しませるために面白おかしく誇張して書かれたものだと思われる。

◎ 1974年刊行の水木しげる氏による『妖怪なんでも入門』にも、「ぬりぼう」として『少年画報』掲載の絵が収録されている。この表記が平仮名になっているのは、読者の年齢層を今までよりも下に想定したことによるのだろう。
 絵は前述のサイケ調のものが縮小された同じもの。添えられている解説文は以下の通り。

 むかし、壱岐の島(長崎県)で、夜明けに、人間の内臓のようなぬりぼうが、道路がわの山からあらわれでてきたという。
 出る場所もだいたいきまっており、壱岐の島には、いまでも、いろいろないいつたえが残っている。
[水木 1974]

 文章の構成が変更されたため、出没の時間帯が「夜明け」であり、認識される形態が「人間の内臓」に似ているということは「ぬりぼう」の属性として確固としたものであるように読めてしまう。この記事だけを読んだのでは、「人間の内臓のような」という表現が、最初は絵の解説として書かれたことなど推し量ることも出来ない。
 また出現時に
「突き出す」 [山口 1937]という表現が、「あらわれでてきた」にあらためられているのも、大きな変化だといってよいだろう。

◎ 1976年の『水木しげるお化け絵文庫』では 、名称の表記が「塗坊」にもどり、挿図に大きな変化が生じている。ここに描かれているものは、路傍の薮から湧きだすオタマジャクシ形の煙のようなものだ。煙状のモノには不明瞭な顔面の表現が認められる。解説文の冒頭部分は山口・柳田の記事に近いものに回帰しているが、「ヌリカベ」の属性が、「塗坊」の属性として流用されている
(6)
 また、本文の大半は“「塗坊」の一種かと思われる”モノに関する記事で埋められている
(7)

◎1980年に刊行された佐藤有文氏による『妖怪大全科』の「ぬりぼう」を見てみよう。挿図では山の上に、一対の手らしきものが付いた人の形に似た煙状のモノが浮かんでいる。

 登山の途中で、ふと山頂を見上あげると、まっ黒いドロドロしたものが、空にひろがっていく。これが妖怪《ぬりぼう》なのだ。この妖怪は、長崎県壱岐地方にでる。[佐藤1980]

 再度、水木しげる氏の絵が、佐藤有文氏の著書に影響を与えたのではないだろうか。顔面表現のある黒い煙が、人形の黒い煙にアレンジされた可能性は高いと思う。

◎なお、『水木しげるお化け絵文庫』を再編集した『水木しげるの妖怪文庫』三(1984年 )以降、水木しげる氏の「塗坊」は、 オタマジャクシ形の煙のようなものに安定しているようだ
[水木1991,1994]

◎語られる度に、新たな要素が付加されたり、欠落したりと変幻自在。繰り返される再録による記事内容の取り違え、典拠になったであろう「妖怪名彙」の情報の不足と曖昧さを埋めるためのアレンジや書き加え・・・そうした様々な要因がもたらした混乱だ。
 まるで、「ヌリボー」が分裂・増殖しながら様々に変容しているようだ。最初にあたえられた言葉が、次々と伝えられる間に、もとの言葉とはまったく違ったものに変わってしまう“伝言ゲーム”を思わせる
(8)

◎サイケ調だったり、血腥い性格を持っていたり、ドロドロと空にひろがったり・・・私達が読み知っている妖怪は、壱岐の人達が知っていた「ヌリボー」からはほど遠い存在のはずだ。これらは名称という属性こそ引き継いでいるものの、他の属性はほとんど異なる別のモノだと言ったほうがよいだろう。

◎だが、私はこのようなアレンジや書き加えを、時代にあわせた改良は妖怪の活性化のために望ましいとか、民間伝承の改悪は文化的に問題があるとか、無邪気に判断してしまうつもりなどない。
 商業ベースで製作される書籍によって語り直され、変わり果てた妖怪たち。どのように否定しようが、それも私達の時代が持つ妖怪イメージに違いないのだから
(9)。近年の書き手によってアレンジや新たな属性の付加がおこなわれたモノだからといって、それを創作された妖怪だと簡単に言い切り無視してしまったり、過去に各地で採集されたモノと単に別扱いにしてしまうのも、適切ではないだろう。口頭で伝承が受け継がれる際にも、話者によるアレンジや内容の変更が行われるのはままあることだ。近世以降の出版文化は、我々が考える以上に人々の怪異イメージに影響を与えており、民俗社会で語られた妖怪たちでさえ、書かれたものや描かれたものによる影響を被っていないわけではない(10)
 大切なのは、それぞれの話が成立・流通した背景の差を認識することだ。伝統的な社会において行われた再話と、大量複製の時代の書き手が行うアレンジとは、何処が何故、どのように違うのかを見極めなければならない。
 さらに、口頭での伝承と、大量に流通する書籍による話の拡散規模の差を比較してやったり、相互影響の経緯を検証する必要もあるだろう。
 そうして、「ぬりぼう」や「塗坊」のような根無し草の妖怪たちを、あやしきモノをめぐる現代の精神史の中に、どのように位置づけ、評価していくのかを、これから考えていくべきなのだ(なーんてね。マジだけどさ)。



(1)このように、今のところ確認できている資料からは、形態は不明であり、進路妨害を行ったかどうかも確実ではないという理由により、私は先にアップした「塗り壁」は海を越えたか では「ヌリボウ」を「遮蔽物・進路妨害型」には含めなかった。同記事の注(1)に書いた通りである。この判断は、現在でも変わっていない。
 だが、今後の文献探索や現地での聞き取りなどによって、その形態や進路妨害の属性が確認されれば、この評価は当然再検討されるべきである。
(2)今回情報を提供していただいた「関東水木会の方」によると、この絵が水木しげる氏が描く「塗坊」の今のところ確認されている最も古い例であるとのこと。また、「人間の内臓のような」という解説文の表現が、本来は「絵の説明」だったことをご教示くださったのも同氏である。
(3)ただ、気になるのは、『妖怪世界』の「妖怪探求」に2001年5月20日づけで書き込まれた間敏幸氏の「壱岐でヌリボウ発見 (#2011)」という記事である。そこには、壱岐島の方からの情報として“「ぬりぼう」とは「ぬりかべ」みたいな体つきですが全体が人間の内臓のような感じだそうで、道の山側からぬ〜っと現れて通行の邪魔をするだけで危害を加えることはない”との記載がある。
 「幻談」での間氏とのやりとりから考えると、水木しげる氏描くところの「塗坊」[水木1969,1970]や「ぬりぼう」[水木1974]がこの情報の出所だとは思うが、現地に「内臓」型の「ぬりぼう」の話がある可能性も否定出来ない。
 もし、現在、壱岐島に「内臓」型の「ぬりぼう」の話があるのなら、水木しげる氏の作品の影響の有無を確定するため、両者の先後関係を検討する必要があるだろう。これも面白いテーマである。
(4)「ぬりぼう」が宮崎県のモノとされてしまった経緯についても、「関東水木会の方」から推理をうかがうことが出来た。[水木1969 ]の 扉絵が「ひょうすべ」であり、こちらには「九州の長崎県や宮崎県にでる妖怪で〜」という書き出しの解説文がつけられていることから、取り違えが生じたのではないか、とのこと。うなずくことの出来る仮説だと思う。
(5)佐藤有文氏の本がまとめられる際、先行する水木しげる氏の作品が参考にされた可能性は、他の事例などを考え合わせると、きわめて高いようだ。「関東水木会の方」のご教示による。
(6)[柳田 1938]にある「棒を以て下を拂ふと消える」という「ヌリカベ」の紹介に係る記述が引用されている。
(7)外科医の宇野仙庵のものとされるこの体験談は、山田野理夫氏による『おばけ文庫』の「わいら」や「ぬらりひょん」の話と構成が似ている。この記事の原典は山田氏の記事なのかもしれない。また、山田氏の妖怪記事のスタイルを、『水木しげるお化け絵文庫』の解説文のほうが摸倣している可能性もあるだろう。
 今のところこの件については、判断不能状態である。何か御存知の方はご一報くださいますようお願いいたします。
(8) こうした“伝言ゲーム”的な事態を私がどのように評価しているかは、こちらの記事を参考にしてください。
(9)ただ、言うまでもないあたりまえのことだが、本稿で引いた児童書の「ぬりぼう」や「塗坊」の記事は、かつて「ヌリボー」が壱岐の民俗社会において、いかなる文脈の中で、どのような意味を持って語られていたかを読み解く作業の資料に使用することは出来ない。
(10)近世の文字や絵と妖怪イメージの関連という問題については、[佐藤 1995]に収録の「クダンの誕生」などが参考になる。

参考文献
 佐藤有文 1972 『日本妖怪図鑑』  立風書房
 佐藤有文 1980 『妖怪大全科』   秋田書店
 佐藤健二 1995 『流言蜚語』 有信堂
 水木しげる1969 「水木しげる先生の日本妖怪カラー大画報」2 『少年画報』1969年1月1日発行
 水木しげる 1970 『水木しげる妖怪画集』 朝日ソノラマ
 水木しげる 1974 『妖怪なんでも入門』 小学館
 水木しげる 1976 『水木しげるお化け絵文庫』 弥生書房
 水木しげる 1984 『水木しげるの妖怪文庫』三 河出文庫
 水木しげる 1991 『日本妖怪大全』 講談社
 水木しげる 1994 『図説日本妖怪大全』 講談社+α文庫
 山口麻太郎 1934 『壱岐島民俗誌』、一誠社
 山口麻太郎 1937 『續壹岐島方言集』、春陽堂
 柳田國男 1938「妖怪名彙(四)」 『民間傳承』 第4巻第1号 (柳田国男 1956『妖怪談義』収録)

謝辞1
 本稿をまとめるにあたって、屶丸さんからいろいろと御教示をいただきました。記して謝意にかえさせていただきます。教えていただいた情報を生かしきれていない点については御詫びも。また、本稿に記された内容についての責などは、すべて化野に帰するものであることも明記しておきます。(2001.06.11)

謝辞2
 
旧稿脱稿後、「関東水木会の方」から化野の誤認を指摘していただくとともに、水木しげる関連の情報、貴重な資料の提供をいただきました。ここに記して謝意にかえさせていただきます。
 “通俗的なメディアを通じて展開される「妖怪」を視野に入れずして、やはり「妖怪」のダイナミックな面白みは説明しえない”とおっしゃる氏と、「塗坊」などについて論じたメールでのやりとりは、実に刺激的で興味深かったことも付記しておきます。
 ほんとうにありがとうございました。(2001.06.25)

                                        (2001.06.11 旧稿脱稿)
                                        (2001.06.25 改稿版脱稿)

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