異境巡礼
◎山本五郎左衛門健在ナリ◎
「如意宝ばけもの槌」実見記

 寛延2(1749)年、備後三次での出来事だ。
 主人公は、16才の少年。
 名を稲生平太郎という。
 肝試しの百物語がそもそもの発端だった。
 「鬼を語れば怪いたる」といわれる百物語の祟りなのか。
 それとも、何かの魔に見込まれてしまったのか。
 平太郎の屋敷を夜ごと訪れる数々の化物達。
 ほぼひと月の間、襲撃は続いた。
  人々は恐れ、少年は独りひたすら耐えた。

 最後の夜。
 魔王を名乗る男、山本五郎左衛門が現れた。
 山本は平太郎にひとつの槌を与えたという。

 そして・・・

 伝説の魔王の「槌」は実在する。
 広島市東山区の自昌山國前寺。
 この寺に寺宝として伝えられているのだ。
 その名は「如意宝ばけもの槌」
 毎年、1月7日の「稲生祭」で公開される。


◎1月6日◎朝◎

 新幹線は関ヶ原の積雪で遅れていた。
 予定していた「ひかり」が到着するのを、吹きさらしのホームで待つのが面倒になった私は、ひとつ早い「こだま」に乗り込んだ。広島への到着が20分ばかり遅くなるのは、まあ仕方ないだろう。この寒さをこらえるよりはずっとましだ。
 今回の小旅行の目的は、東雅夫氏の取材に同行し、魔王が残した「ばけもの槌」を実見すること。
 予習という訳でもないが、『妖怪 いま甦る』
[三次市教育委員会編 1996 ]を車中で開いた。同書には『三次実録物語』と『稲生武太夫一代記』が収録されているだけでなく、書誌情報などの貴重な記事が多数掲載されている。「物怪録」の世界に触れるには持って来いの一冊だ。
 『稲生武太夫一代記』の絵は、他の絵巻と比べると稚拙だが、なんともいえないほのぼのとした味がある。
 まず、ちょっと間が抜けた感じの「一つ目の大男」と可愛らしい「一つ目の童子」が露払いにあらわれる。
 そして、実に奇天烈なあやかし達がそれに続く。逆さ生首、紙舞、老婆の大首や串刺しの生首。まるで魔界の玩具箱をひっくり返したような賑やかさだ。絵巻の画面を順に追いながら、私は平太郎が経験した怪異をひとつずつ追体験していった。

 新幹線の心地よい座席と暖房に、日々の疲れを呼び覚まされ、私は睡魔が統べる領土へと・・・
 あやかしが現れては、消えてゆく。
  私の目の前に、次から次へと。
 ぼうっとしてとらえどころのない姿の魔物たち。
 自らの素性・来歴について、いろいろと私に向かって語りかけてくるようなのだが。
 どうしてもはっきり聞き取れなくてもどかしい。
 そんな、とりとめのない夢を見た
(1)。 



◎1月6日◎國前寺 取材◎

 正午、広島駅にて『ムー』誌の「日本伝説紀行」取材チームと合流。東雅夫氏、編集部の獅子堂(仮名)氏、カメラマンのS氏の3名は、「くだん」や「コナキジジ」を追い求めて、一緒に各地を巡ったお馴染のメンバーだ。再会を喜ぶ間も惜しんで、日程の確認と情報交換。

 午後3時、明日の祭について事前取材を行うために國前寺を訪ねた。期待に胸躍らせつつ、私達は魔王の「槌」を蔵する寺の山門をくぐった。

 日蓮宗の名刹 自昌山國前寺は、広島駅北方の小高い丘の麓に位置している。広島駅新幹線口(北口)から徒歩で10分ぐらい
(2)。開基は暦應3年、日蓮宗の僧侶 暁忍坊による。
 広島藩の菩提寺であった関係で、立派な建造物が残されている。原爆の被害を受けはしたものの、大きな破壊は免れたのだそうだ。本堂・庫裏は国の重要文化財に、山門・鐘楼・境内地が広島市の文化財に指定されている。山門と本堂は修理の最中だった。
 また、この寺には『國前寺本 稲生武太夫化物語』と呼ばれる「物怪録」異本の巻物も伝えられている。巻物のカラー図版、原文に加えて現代語訳までもが収められた図録が、同寺から平成8年に刊行されている
[文化財保存研究会 懐古他 1996]
 
 温厚な表情の中にも宗教家の厳しさをうかがわせる住職の疋田英親氏は、落ち着いた口調で、私達のインタビューにこたえて下さった。
取材風景
 中央が疋田住職
獅子堂
 「稲生祭」(御開帳)について教えて下さい。
住職



 「稲生祭」は年始の守護神祭です。御供養と祈願を行い、あわせて「ばけもの槌」を公開しています。
 口伝によると、御開帳は江戸時代にも行われていたとのことです。その頃は、二十年に一度しか開帳していなかったといわれています。今のように毎年公開というのは、明治以降、あるいは最近になってのことだと聞いています。
 こちらのお寺に「槌」が納められた経緯を教えていただけますか?
住職


 もともと武太夫は広島藩の支藩だった三次藩の人間だったのですが、享保の頃に三次藩は本藩に合併されます。その関係で武太夫もこちらにうつり、藩主に縁の深いこの寺に「槌」を納められたのだとうかがっています。

「ばけもの槌」とはどのようなものなのでしょう?
住職










 いつもは厨子の中に納められています。祭の時だけ厨子の正面の扉を開けて拝観出来るようにしています。写真撮影は厳禁なので、口頭で御説明するしかないのですが・・・ 
 大きさはこれくらい(30cm前後)でしょうか。
 飾り気の無い木製の槌で、黒光りしています。
 持つと意外に軽いものです。
 「稲生祭」でお配りしているお守りと、大きさが違うだけでほぼ同じ形をしています。
 ただ、本物では槌の頭の叩く面が少し丸く盛り上がっています。最初はお守りも同じようにしていたのですが、作っている方から加工が難しいから平面にさせてくださいと言われて、現在の形にしています。それと、柄の上端が外せるようになっています
(3)
 水木しげるさんがいらした時に、これは儀式につかうものだろうという説をうかがいました
(4)

「ばけもの槌」そのものにまつわる怪異や逸話などは伝わっていないでしょうか?
住職


 寺宝としてお寺に納められてからは、特に不思議な話などはございません。
 ただ、逸話はございます。門外不出の寺宝とされているのですが、一度だけ山門の外に出たことがあるのです。明治天皇が広島にいらした折に調査なさりたいということで、ご覧に入れたのです。

その時、何か新しい事実が明らかになったのでしょうか?
住職
「調べてみたけれどよくわからなかった、やはりこれは〈化物の槌〉だ。」とおっしゃったとか。
 インタビュー後、翌日の会場となる本堂を案内していただいた。
 修理工事のため、来年以降「稲生祭」は、しばらく本堂では行えないらしい。今年訪れた私達は、幸い本来の祭の様子を見学することができるわけだ。

 なお、疋田住職によると、稲生武太夫はほぼ五十年ごとに脚光を浴びるとのこと。ちょうどこの数年がそのサイクルにあたっているらしい。1999年の『怪』誌の取材前後から、いくつかのメディアが取材に訪れているともうかがった。武太夫と「物怪録」の再評価が、今後より本格化することを期待しよう。

 その武太夫をまつる五輪塔が、國前寺の裏手に佇むようにして建っている。世間の脚光を浴びようが、浴びまいが、私にはそんなことは関係ないといった風情でひっそりと。
武太夫をまつる五輪塔 →
国前寺境内 


◎1月7日◎國前寺 「稲生祭」取材◎


 翌日、広島の町は薄く雪化粧していた。
 昨夜からの冷気で本堂の床板は冷えきっている。
 暖房器具も用意されていたが、広い堂内を暖めるには至っていない。
 寒さに足がしびれるようだ。
 だが、そんな寒さにもかかわらず多勢の参拝者が、12時半すぎには既に堂内に集まっていた。200〜250人ぐらいはいただろうと思う。
 高齢の檀家の方達に交じって、若い人の姿もちらほらと見受けられる。皆、大きな鞄やカメラを持っている。おそらく、彼らは同好の士だ(笑)。

 やがて、時計が午後1時をまわった。
 響き渡る団扇太鼓と鐘の音、荘厳な読経の声が堂内を支配する。
 「稲生祭」がはじまったのだ。
 疋田住職たち7人の僧侶によって行われる祈祷は、魔王の「槌」を祭るのに相応しいダイナミックなものだった。時折、要所で打ち鳴らされる木剣
(5)の音も、スタッカートがきいている。
 なんだか血が騒いだ。
 期待に脈搏が早くなる。

 一人の僧侶が厨子を捧げ持って現れた。
 御本尊の周りを一巡し、厨子を祭壇に据える。

 厨子の扉が開かれた。


 2時間ほどで祭儀は終わった。
 祭壇のまわりには、厨子に向かって手を合わせる参拝者や、「槌」の姿を至近距離で観察しようとする好事家達が集まっていた。
 当然、私達も「槌」に最接近して観察を行った。

  意外に大きなものだね。
   柄の部分がよく摩滅している。
化野 そうですね。こういうの手沢っていうんでし
   たっけ?
   ホントに真っ黒ですね。
   あちこちに虫食いの穴もありますよ。
  槌の打撃面は確かに盛り上がってるね。
   御住職からうかがったとおりだ。
化野 確かにこれじゃ実用性には欠けるような。
   儀式用って説も、一理あるかも・・・
  一体なにに使ったんだろうねぇ?

 会話が途切れ、私達は「槌」の前でしばらく黙考した。
 誰が作ったのだろう?
 その材質は?
(6)
 本来の使用目的は?
 心の中で問い掛けたが、回答があるはずもない。
「槌」は厨子の中で沈黙をまもったままだ。
 いつ誰がこの謎を解くのだろう・・・
 そんな事を思った。
「稲生祭」の様子
 祭壇上の厨子の中に魔王の「槌」が納められているのだが・・・
 この時、今回の取材中で最も印象的な出来事が起きた。
 江戸の闇に思いを馳せて放心状態の私達をよそに、すぐ傍らでは幾人かの参拝者が「槌」を写真に納めようとしていた。檀家関係者らしき高齢の方が、厨子にカメラのレンズを向けていたひとりにこう言ったのだ。

 「そんなことをしたら、おそろしいことになるよ。命が無いよ。」

  とがめる口調だった。写真を撮るような失礼をはたらくと、「槌」の霊威によって罰があたるとおっしゃりたかったようだ。
 具体的な伝承があっての発言ではなかっただろう。長らくこの寺を守ってきた檀家の方にしてみければ、無遠慮な闖入者に他ならない私達の不作法をいましめるための言葉だったのだろうが、彼らの心の中には、そんな言葉が口をついて出るほどに「槌」の霊験を信じる気持ちが生きているのだ。

 ほら、俺はいまでも健在だろ。

 山本五郎左衛門の誇らしげな声。
 そして、高らかな哄笑が聞えた気がした。


◎おわりに◎

 私達の取材に懇切丁寧に応じていただくとともに、このホームページでの紹介についてもこころよく許可をくださった國前寺の疋田英親住職に感謝いたします。
 東雅夫氏と学研『ムー 』の獅子堂氏、S氏にも感謝。たいして役にたつわけでもない化野にいつもお声かけ頂き、有り難うございます。機会があれば、また御一緒させてくださいね。

 今回の取材に基づく東雅夫氏の「日本伝説紀行」は『ムー 』4 or 5月号に掲載予定とのこと。なにやら『物怪録』に関する新知見の公表(?)も目論んでらっしゃるようなので、妖怪愛好家は要チェック。



(1) この時から気になっているのが
「茶を運ぶ 一つ目の童子」。これについては「近況」の2月5日の項を参照してください。
(2) 國前寺については下記リンクの記事も参照してください。
(3) 柄の上端の細工については、化野の記憶は少し曖昧。あるいは聞き違えているかもしれない。
(4) 水木しげる氏らの取材に同行した村上健司氏によると、現地でこの説をとなえたのは荒俣宏氏だっただろうとの こと。
(5)ボッケン。祭具。縦長五角形の木製の板である。数珠を用いて打ち鳴らす。
(6) [谷川1994]によると梅の古木とのことだが、御住職によると科学的な鑑定は行われていないらしい。いや、何でも科学的な調査をすればいいってものでもないけれど。

参考文献
 谷川健一編 1994 『稲生物怪録絵巻』 小学館
 三次市教育委員会編 1996 『妖怪 いま甦る』三次市教育委員会
 文化財保存研究会 懐古 文芸サロン・セイコー編 1996 『國前寺本 稲生武太夫化物語』 自昌山 國前寺

                                            (2001.02.20脱稿)



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