|
|
|||||||||||||||
|
異境巡礼
|
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
| ◎虚空太鼓◎ 道路はひどく渋滞していた。 最後尾につけてから、かれこれ三十分以上たつが、あいかわらず車の列はのろのろとしか進まない。 奇祭「数方庭」を見学した翌日、私は周防大島(屋代島)を目指した。島に伝わる二つの妖怪伝承の現場を訪ねるためだ。 山陽自動車道を玖珂インターチェンジでおりて、国道437号線にのりかえ南下した。大畠町神代附近まで車は順調に流れていたのだが、大島大橋が近づいた途端にこの渋滞だ。盆休みで帰省した人達や、観光客などの自動車が小さな橋に集中した結果の自然渋滞だろう。 この橋が島へ入る唯一の陸上ルートだ。ただ待つより他に選択の余地はない。気長につきあうしかないだろう。 橋のたもとにさしかかったあたりで、ようやく渋滞は終わり、車はスムースに流れだした。 大島大橋の総延長は、ほんの1.02km。自動車なら数十秒で渡りきってしまう距離だ。 だが、この橋が跨いでいる大畠瀬戸こそが、私の第一の目的地だった。 そう、ここは「虚空太鼓」伝説の海峡なのだ。 周防国大畠瀬戸は、瀬戸内通ひの船頭共が「阿波の鳴門か三蒲の瀬戸か」と唄ふ程、潮流の急な所である。此瀬戸の中程で、毎年陰暦六月になると、太鼓を打つ様な音がする。地人は是を虚空太鼓と呼んでゐるが、不思議にも其の音は大畠(玖珂郡)から聞けば三蒲(大島郡)に方り三蒲からきけば大畠に方つて打つやうで、さりとて舟で其音を尋ねると何の音もせぬ。此怪音は、昔ある軽業師が宮島の祭をあてこんで上る途中、此瀬戸で難船して死んで了った。其怨霊で今に至るまで、毎年宮島様の祭頃になると太鼓の音をさせるのだ。[KN 1913] KNなる人物の「周南雜爼」という文章の一節だ。遭難者の怨霊が幻の太鼓の音を鳴り響かせるという不思議な話を伝えている。 現代の我々には、瀬戸内海で難破といわれてもあまりリアリティーがない話ではある。 だが、この海峡では潮の満ち引きによって、時には10ノットという鳴門海峡に次ぐほどの速さの潮流が起きるといわれている。木造船の時代には、幾つもの渦潮が多くの船を海底に引き込み、この海峡は瀬戸内でも有数の難所として知られていたのだそうだ[豊田ほか 1973]。 この太鼓の音は、本州側からだと島に音源があるように聞こえ、島の側からだと本州からの音に聞こえるのに、海上では聞くことが出来ないのだという。一体、何処からやって来る音だというのだろうか。 渋滞のため随分な時間を費やして、ようやく島へ渡った私は、海峡にほど近い“飯の山”の頂を目指した。そこには大畠瀬戸を一望する展望台が設けられている。 山頂の駐車場で車を降り、展望台へと向かう。 と、小道の傍に小さな金毘羅の祠(ほこら)がひとつ。航海安全の神を祀っているわけだ。なるほど、航海上の難所とされていただけのことはある。 展望台から見渡すと、眼下にはいかにも瀬戸内らしい穏やかな風景が広がっていた。 明るい夏の光の中、海峡は澄まし顔。過去の難破船のことなど知らぬとでも言いたげだ。 だが、目を凝らせば見える。海峡を走り抜ける潮のそこここに、小さいながらも渦が巻く。白い波頭が生まれては消えていく。 それは、かつて幾多の船をかみ砕いた海の牙。 流れる海を眺めつつ佇んだ。 まぼろしの太鼓の音に耳を澄ませながら。 ◎宮ホーホー◎ 大畠瀬戸を後にした私は、島の北の海岸線に沿って走る国道437号線を東に向かった。 次の目的地は大島郡東和町。 日本各地の調査のために旅に生きた民俗学者 宮本常一氏のふるさとだ。渋沢敬三は「日本列島の白地図の上に、宮本くんの足跡を赤インクで印していったら、日本列島は真っ赤になる」[佐野 2000]と彼のことを評したという。 小さな岬をいくつか過ぎ、いくつかの集落を走り抜けて、30分ほど走っただろうか。やがて進行方向左手に、観光客で賑わう近代的なたたずまいの「道の駅」が見えてきた。 私の目的地は「道の駅」の道路をはさんだ反対側にある神社だ。鬱蒼としげる森の中に鎮座するその神社の名は下田八幡宮という。 「道の駅」の駐車場の西の端に車を停め八幡宮へと向かった。 鳥居をくぐり、石段をのぼる。 並木道の木陰を涼しい風がわたっていく。 そこは、静寂に満ちていた。 真夏の午後、誰もいない神社の境内。 なんだかすこし淋しい気がした。 宮本氏が幼少時の記憶を綴った「私のふるさと」によると、彼が幼少の頃には樹々はもっと茂り「昼なおくらいという感じ」だったそうだ。その頃は、もっと淋しくて神秘的な空間だったのだろう。 「私のふるさと」には、この神社にまつわる化物話が記されている。 この森には宮ホーホーという化物がいると祖父の寝物語にきいて、夢に見たこともある。宮の鳥居をくぐると、四十二段の石段があるのだが、宮ホーホーはその上のほうに腰をかけ、その足は石段の下まで届いていた。白い着物をきて、にたにた笑っていたのである。何となく恐ろしかった。[宮本 1972] 始めてこの記事を読んだ時、私はこの化物のとらえどころのなさに戸惑った。似たモノをひとつも思いつかなかったのだ。 だが、幾つかの資料をあたっているうちに、なんとなく「宮ホーホー」の素性が見えてきた。 斉藤たま氏の故郷である山形県のあたりでは、怖いモノでおどかして駄々をこねる子供を黙らせるのに「のりづけほーほー」というモノを持ちだすという。これはフクロウの鳴き声を妖怪視したものらしい[斉藤 1984]。まだ夜の鳥の姿を知らぬ子供を、大人たちは確信犯的にだましていたわけだ。 たしかに夜の闇の奥深く何処からともなく聞えてくるフクロウの鳴き声は、物悲しく不気味な感じがするものだ。その正体を知らなければ、妖怪だといわれて信じてしまうくらいに。 方言辞典などで調べたところ「のりづけほーほー」に類する語でフクロウを呼ぶ地域はひろく、西日本でもこの語は知られている。また、山口県や島根県の幼児語では「ほーほー」が鳥一般のことを表すともいう[友定 1997]。 以上のことから私は「宮ホーホー」とは、神社に居るフクロウを子供をおどかすために妖怪化したモノだったのではないか、と思っているのだが。 お話ばかりせがんで、なかなか寝つかない宮本少年。 困った祖父は、ちよっとだけ怒ったような声色で彼をおどかす。 「はやく寝ないと、お宮で鳴いてるお化けが来るぞ。 そら、きこえるだろ。ホーホーって言ってるぞ」 怖くなって、蒲団の中に頭まで潜り込む宮本少年。 そして、祖父の口もとには悪戯っぽい笑み。 ・・・そんな光景が頭に浮かぶ。 参拝を済ませた私は、今来た参道をとってかえし石段のところまでもどった。宮本少年の夢の中で「宮ホーホー」が腰掛けていたという石段の最上段に腰を下ろしてみた。 そして、しばらくの間ぼうっとした。 鳥居の向こうを白い自動車が通り過ぎて行ったね。 あの国道はすこし前に海を埋めて造った新道だ。 その向こうの駐車場なんてのもなかったよ。 なんだか、海は遠くなったね。 だけど、今でも蒼い・・・ 私の脳裡をよぎったそんな呟きは、旅に生きた民俗学者のものだったのだろうか。それとも、今はもう忘れられてしまった化物のものだっただろうか。 |
|||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||
|
飯の山の展望台より |
|||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
| 参考文献 KN 1913 「周南雜爼」(『郷土研究』 第壱巻第五號 ) 斉藤たま 1984 「子供たちのこわいもの」(日本ナショナルトラスト『季刊 自然と文化』84年秋号 ) 佐野眞一 2000 『NHK人間講座 宮本常一が見た日本』 日本放送出版協会 友定賢治編 1997 『全国幼児語辞典』 豊田稔一ほか 1973『周防大島物語』 瀬戸内出版(1995刊行の『改版周防大島物語』を使用) 宮本常一 1972 「私のふるさと」(『家郷の訓』岩波文庫版収録のものを使用) (2001.03.20脱稿) 追記 「虚空太鼓」に似た海辺で聞こえる怪しい太鼓の音の類例を紹介しておこう。 すぐ近くの山口県柳井市伊保庄にも、海中から太鼓が聞こえてくる話が残っているそうだ。海の妖魔と平家の落武者を奪い合った女長者が、悪魔祓いの為に持ち船を集めて船上大宴会を催すも、船はすべて妖魔に沈没させられる。船人の供養の祭が行われる大晦日の深更、遠い海の底からトントントンと太鼓の音が響いて来るのだそうだ。[及川 1934] 鳥取県米子市あたりの「米原太鼓」は義理の母に殺された盆踊り好きの娘の遺恨が鳴らす太鼓の音だという。旧暦7月になるとどこからともなく聞こえるという。 [三島 1924] これらの例は、その怪音発生の時期が祭礼の日、大晦日、盆と精霊の活動が活発になると古人に考えられてきた日に決まっている点も共通している。 三島浮浪 1924 「踊り明かして彼女は死んだ」『諸國物語』、朝日新聞社 及川義右衛門 1934 『芸備今昔話』、一誠社 (2001.06.11追記) |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|
|
|||
| もどる | |||