○「くだん」や「赤マント」などの怪しい流言蜚語が、あちこちで囁かれた昭和初年の風俗が気になって、最近、関連関係書籍を斜め読みしている。「くだん」の噂が纏う土俗的な雰囲気に惑わされ、私は最近まであまり意識していなかったのだが、昭和初期といえば江戸川乱歩らが活躍した、あのモダンで猟奇な時代なのだった。

○主に農村部で語られた噂と、都市部で流通した噂を、まとめて語るのはいかにも乱暴なことではあるが、書籍から伝わってくるあの時代の空気と、流言のもつ雰囲気には、閉塞した時代への異議、妙に幼稚な血腥さなど、何となく互いに共通するところがあるような気がする。

○そんな事を考えつつ『江戸川乱歩の時代 昭和エロ・グロ・ナンセンス(別冊太陽88)』の図版を漫然と楽しんでいたのだが、乱歩の蔵書の写真(同書P.61)に頁を捲る手が止まってしまった。
 多くの本好きが患うよくない病の発作である。他人の書棚がつい気になり、背表紙の文字をひとつずつ読んでしまうのだ。いつだったかも別のところで紹介された乱歩の書棚の写真に目を凝らし、小さな背文字を読みとろうと苦心したことがある。探偵小説愛好家の中には、同じことを試みた方が多くいらっしゃるのではないだろうか。
 そう、乱歩邸の土蔵といえば、推理小説好きには有名な古今の稀書の山である。また「怪談入門」
[江戸川 1920 ]というエッセーを一読すればわかるように、乱歩は怪談についても一流の見識を持っていた。どんな奇書が埋もれているかわかったものではない。

○さて、この写真を見ると、妖怪愛好家にとっても興味深い書物が蔵されていることがわかる。
 箱に納められた和書の題名には、以下のようなものがある。『絵本妖物語』、『玉藻前三国伝綺』、『化物和本草』そして『絵本妖怪奇談』。これらは完本のようだ。端本では『怪談実録』、『怪異談叢』等。
 ・・・やはりあったか。
 前出の「怪談入門」に「徳川時代の怪談はそれでもいくらか読んだが」と謙遜交じりの一文があり、乱歩がどのような古典怪談を読んでいたのか、以前から気になっていたのだ。
 しかし、どれも面白そうな書名ではないか。 活字本は刊行されてなさそうだが 、とりあえず『国書総目録』などで確認だけはしておくことにしよう。

○特に『化物和本草』という題名は、私にとって魅惑的だ。 "ばけものやまとほんぞう"と読むのだろうか。読本の類ではなく、表題どおり妖怪について記された博物誌であれば嬉しいのだけれど。室井恭蘭著『妖魅本草録』、P・F・フォン・シーボルト著『日本妖怪誌(Phntasma Japonica)』といった非在の書物
(1)を連想させる実に素敵な題名ではないか。
 嗚呼、読んでみたい。
(1)[諸星 1982]の『妖魅本草録』は、江戸時代の学者による本草書。怪異植物を挿し絵入りで解説してい
  る。同作品中に登場する「ヒトニグサ」に関する最古の資料と紹介される。
   [井上 1991]は、若き日のヴァン・ヘルシングが江戸時代末の日本で妖怪を退治する痛快娯楽時代劇ホ
  ラーシリーズの第一作。ノベルス版が絶版になり、しばらく入手困難だったが、最近文庫版で再刊された。
  妖怪小説ファンは必読。(早く第三巻が出ないかなぁ?)
   本作に登場のシーボルトは動・植物だけでなく「妖怪」をも研究し、長崎出島の一角に妖怪標本室を設
  けている狂学者。同室には何処で入手したものか「件」の標本まで展示されている!
   また、作中には『日本妖怪誌』アムステルダム大学版(芸が細かい)からの抜粋も掲げられており、妖
  怪愛好家の魂をくすぐることこの上なし。

  参考文献   江戸川乱歩 1920 「怪談入門」
         諸星大二郎 1982 「ヒトニグサ」 『海竜祭の夜』、集英社
         井上雅彦 1991 『異人館の妖魔』 朝日ソノラマ
                                         (2000.09.10脱稿)

追記
 『国書総目録』で確認したところ、『化物和本草』は山東京伝による黄表紙本であることが判明。妖怪博物誌としての『化物和本草』は、私の夢想の中にだけ存在する書物になってしまった訳だ。
                                         (2000.11.14追記)

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